羊の水海

ストーリー

2021年6月6日

テーブルの上にグミがあった

 家に帰るとテーブルの上に小皿が置いてあって、そこには色とりどりの小さな粒が積まれていた。赤色、黄色、緑色。それらはシーリングライトの光を鈍く反射させている。

「めずらしいね、グミなんて」

 僕は小皿から赤色のグミをひとつつまんで、ソファに座って本を読んでいた同居人に言った。グミを近くで見ると熊のような形をしていた。

「ちょっと口が寂しくなったから」と同居人が本から顔をあげて言った。

 手に取ったグミを口のなかに放り込み、それを噛む。濃い甘味を感じる。グミは僕の歯を押し返すように抵抗をするけれども、なす術もなくそのまま噛みちぎられていった。細かく噛みちぎられたまま僕の喉を通って消化されゆく小さな熊のことを考えて、心のなかで合掌する。

 数日前に同居人は決意を込めたまなざしで「禁煙をする」と僕に言った。どうやら煙草にかかる金だとか、匂いだとか周りの目とかが気になり始めてきたらしい。最近の喫煙に対する当たりの強さには、確かに思うところがある。同居人は一日に一箱のペースでアメリカンスピリットのライトメンソールを吸っていた。同居人は僕にも禁煙を勧めてきたけれども、取り立てて必要性を感じなかったから断った。同居人の決意は確かなようで、禁煙はいまも続いている。

「知り合いから聞いたんだけどさ、禁煙でグミ食べると太ったりするらしいよ」と僕は誰かから聞いたことを伝えた。誰に聞いたのかは思い出せない。内容だけが僕の頭のなかに残っていた。

「甘いもんね」と同居人は本から顔をあげないまま言った。

「それに禁煙すると、腹が減って食事量も増えるからさ」

 僕がそう付け加えると、同居人は読んでいた本を閉じて、僕を強く睨みつけた。力強く本を閉じたようで、不意に聞こえた大きな音に僕の体は一瞬だけ跳ね上がった。

「何? 私に禁煙して欲しくないわけ?」と同居人が尖った声色で僕に言った。

「そんなことは言ってないだろう。ただそういうこともあるよって」と僕はなだめるように言う。最近はささいなことでも同居人の感情が乱れることが多々あった。もしかしたらニコチンが足りなくてうまく感情の制御をすることができないでいるのかもしれない。

「いちいち嫌なこと言って。本当むかつく」

 小皿のグミに目をやると、小さな熊が僕を見ていた。いたたまれなくなって、「ごめん」と一言だけ言ってベランダに出た。

 月がぽっかりと夜空に穴を開けていて、冷えた風が僕の肌を撫でる。ピースライトを一本取り出して、火を着けて吸う。吐き出した煙が夜の街のなかに溶け込んでいった。

 いままでは同居人とふたりで並んで同じ灰皿に灰を落としながら、どうでもいいことを話しながら煙草を吸っていたけれども、いまは僕の周りを夜の静寂だけが包み込んでいる。

 何の気なしに同居人に言ったのだけど、僕は自分が気が付いていないだけで心の奥の方では同居人に禁煙をして欲しくなかったのではないだろうか、僕は同居人と一緒に煙草を吸えなくて寂しく思っているではないだろうか、とひとり煙草を吸いながら思った。

 家の近くの道路から自転車のチェーンが回転する音が聞こえる。向こうの通りでは窓を開ける音が聞こえた。どこかで犬が吠えていた。

 同居人と一緒にベランダで煙草を吸っていたときのことを考えていると、花火の記憶が頭に浮かんできた。

 このベランダからは近くの河川敷で行われている花火大会で打ち上がる花火がよく見えた。花火大会のときはいつもベランダに小さなキャンプ用にテーブルと椅子を置いて、ふたりで作った料理を食べながら花火を眺めていた。

 花火の光で照らされる同居人の横顔はとても綺麗に見えて、僕はそのひとときがとても好きで、花火が永遠に打ち上がり続ければいいのにと思っていた。

 そのときのことを考えていると、僕は気がついた。それはあたりまえで単純なことだけれども。僕はただ単に同居人と一緒に煙草が吸えないから寂しいのではなく、わずか数分のことではあるけれども同居人と一緒にいる時間が減ったから寂しく思っていたのだ。なぜこんな簡単なことにすぐ気がつかなかったのだろうと僕は自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。

 僕は今生の別れをするように手に持っていた煙草を強く吸い込んで、むせて咳こんだ。そして部屋に戻って、まだ数本入っている煙草のケースをごみ箱に入れた。

「僕も禁煙するよ」と同居人に伝えると、同居人は僕をちらっと見て、「そう」と一言だけ返した。まだ機嫌が悪いみたいだ。テーブルの上のグミを一粒取り出して、僕はそれを噛む。濃い甘味を感じる。

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